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ハレの日、ケジメ、おぶじぇ


大学で出会ったわたしの関心事は「儀礼」と「……」で、

後者はまだ、なんと呼んだらいいかわからないんだけど、


「儀礼」は、ふつうにお祭りとか、式典とか、節目のイベントごとで、

「……」の内容は「記憶や、曖昧だけど大切にしたいことなど、名付けにくいものごとを、なにか物体を作ってそこにおさめることによって、頭じゃないところに保管すること。その過程。できあがった物。」です。



【脳内会議】

問う人「それって、「作品作り」じゃないの?」

わたし「他の動機をもつ作品作りと差別化したい。例えば、「より優れた映画を撮りたい、もっと人に伝わって面白い作品を作りたい」みたいな、観客や”作品の理想像”みたいな到達点を目指す制作とは違ってて、「脚色することを絶対に許さない、大真面目な石碑みたいなやつ」を作ること。もしかしたらすごく自閉的かも知れないけれど、外に向けて飾り付けるより、内側に向かってめっちゃ掘り進める手続きだし、内側をめっちゃ掘ることで、多分外に繋がると思う。」

問う人「『碑化』ってどう?」

わたし「悪くない。でも『碑』って石に彫ることで、私は石は扱えない。」


わたし「密教(仏教の一発展形)では、修行者がよりはやく悟りを開けるように「人間の言葉で表すのが、不可能ではないにしてもとても難しい宇宙の真理や諸概念を、シンボリックな物にする(シンボル化する)」のだけど、これに近いよね。」(ソース)

わたし「そうそう!「シンボル化」はかなり適切かもしれない。」


わたし「しかしその名称はスマートすぎて、もうちょっと味がほしい…(欲)」


【脳内会議 了】



というところで、一旦仮に「シンボル化」としましょうか。

「儀礼」と「シンボル化」。

卒業制作作品「5つの精神とことばの生態系」は、5つの諸概念のシンボル化でした。




最近だと、「もつがUFOキャッチャーで取ってくれたワンワンのぬいぐるみ」を1日で紛失して、悲しくて悲しくて、「あたらしいワンワン取ってくるよ」と言われても、


「嫌だ……私は失ったワンワンのことを一生抱えて生きていくんだ……あたらしいワンワンと幸せになりたくない……」(土佐あるある①「実際のところ誰の為にもならんのに自罰意識によって幸福を遠ざける」)


とぐずっていたんだけど、落としたワンワンを想って絵を描いて(シンボル化)、それを暇乞い(儀礼)として決別し、あたらしいワンワンを受け入れるこころの準備をしました。


いつまでも自罰に囚われていては、旧きワンワンにも私にも良くないからケジメをつけたってわけ…。



備忘録、おわり。




ふわっとした告知。

また3月に妹のうさこと二人展を開催します。

私は3月に、生徒として&講師として13年に渡り長らくお世話になってきた予備校さんを退職するのですが、その13年も込々の、これまでの自分のシンボル化をしてみたくて――区切りがいいから25歳のうちに過去25年のシンボル化をしたかったんだけど、26になっちゃったな!――、そんなようなものを制作中です。ドキドキ…。なんだかすごく素朴な小さいものになりそうです。よいです。


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